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最高裁判所第二小法廷 昭和28年(オ)1389号 判決 1958年7月25日

上告人 矢島照子

上告人補助参加人 岡野正一郎

被上告人 矢島恒雄

主文

原判決並びに第一審判決を破棄し、本件を前橋地方裁判所に差戻す。

理由

原判決は、夫が心神喪失の常況にある妻に対し離婚の訴を提起するには、常に必ずしも妻に対する禁治産の宣告を受け、一旦自ら後見人となり次で後見監督人の選任を得て、これにより訴訟行為をなさしめることを要するものにあらず、かかる場合には訴訟無能力者に対し訴訟行為をなす場合につき定められた民訴五六条の規定を準用し、同条一項にいわゆる法定代理人なき場合に準ずべきものとし、遅滞のため損害を受ける虞あることを疏明して特別代理人の選任を受け、これにより訴訟行為をなし得るものと解するを相当とするものとした第一審判決の見解を支持し、この点に関する上告人の抗弁を排斥したことは原判文上明らかである。

およそ心神喪失の常況に在るものは、離婚に関する訴訟能力を有しない、また、離婚のごとき本人の自由なる意思にもとづくことを必須の要件とする一身に専属する身分行為は代理に親しまないものであつて、法定代理人によつて離婚訴訟を遂行することは人事訴訟法のみとめないところである。同法四条は、夫婦の一方が禁治産者であるときは後見監督人又は後見人が禁治産者のために離婚につき訴え又は訴えられることができることを規定しているけれども、これは後見監督人又は後見人が禁治産者の法定代理人として訴訟を遂行することを認めたものではなく、その職務上の地位にもとづき禁治産者のため当事者として訴訟を遂行することをみとめた規定と解すべきである。離婚訴訟は代理に親しまない訴訟であること前述のとおりであるからである。

翻つて、民訴五六条は、「法定代理人ナキ場合又ハ法定代理人カ代理権ヲ行フコト能ハサル場合ニ」未成年者又は禁治産者に対し訴訟行為をしようとする者のため、未成年者又は禁治産者の「特別代理人」を選任することをみとめた規定であるが、この「特別代理人」は、その訴訟かぎりの臨時の法定代理人たる性質を有するものであつて、もともと代理に親しまない離婚訴訟のごとき訴訟については同条は、その適用を見ざる規定である。そしてこの理は心神喪失の常況に在つて未だ禁治産の宣告を受けないものについても同様であつて、かかる者の離婚訴訟について民訴五六条を適用する余地はないのである。

従つて、心神喪失の状況に在つて、未だ禁治産の宣告を受けないものに対し離婚訴訟を提起せんとする夫婦の一方は、先づ他方に対する禁治産の宣告を申請し、その宣告を得て人訴四条により禁治産者の後見監督人又は後見人を被告として訴を起すべきである。

離婚訴訟のごとき、人の一生に、生涯を通じて重大な影響を及ぼすべき身分訴訟においては、夫婦の一方のため訴訟の遂行をする者は、その訴訟の結果により夫婦の一方に及ぼすべき重大なる利害関係を十分に考慮して慎重に訴訟遂行の任務を行うべきであつて、その訴訟遂行の途上において、或は反訴を提起し、又は財産の分与、子の監護に関する人訴一五条の申立をする等の必要ある場合もあるのであつて、この点からいつても、民訴五六条のごときその訴訟かぎりの代理人――しかも、主として訴を提起せんとする原告の利益のために選任せられる特別代理人――をしてこれに当らしめることは適当でなく、夫婦の一方のため後見監督人又は後見人のごとき精神病者のための常置機関として、精神病者の病気療養その他、財産上一身上万般の監護をその任務とするものをして、その訴訟遂行の任に当らしめることを適当とすることは論を待たないところである。

さらに民法七七〇条は、あらたに「配偶者が強度の精神病にかかり回復の見込がないとき」を裁判上離婚請求の一事由としたけれども、同条二項は、右の事由があるときでも裁判所は一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるきは離婚の請求を棄却することができる旨を規定しているのであつて、民法は単に夫婦の一方が不治の精神病にかかつた一事をもつて直ちに離婚の訴訟を理由ありとするものと解すべきでなく、たとえかかる場合においても、諸般の事情を考慮し、病者の今後の療養、生活等についてできるかぎりの具体的方途を講じ、ある程度において、前途にその方途の見込のついた上でなければ、ただちに婚姻関係を廃絶することは不相当と認めて、離婚の請求は許さない法意であると解すべきである。原審が「もしそれ離婚後における控訴人(上告人)の医療及び保護については、被控訴人(被上告人)、控訴人補助参加人その他関係者の良識と温情とに信頼し、適当なる方策の講ぜられることを期待する」旨判示し、かかる方策をもつて、民法七七〇条二項適用の外にあるがごとき解釈を示したことは、見当違いの解釈と云わざるを得ないのであつて、かかる観点からいつても、後見監督人または後見人をして、訴訟の当事者として離婚訴訟の進行中において各関係者間に十分にその方策を検討せしめることを適当とするのである。

然らばこの点に関する原審ならびに第一審判決の判断はあやまりであつて、いずれも、破棄を免れない。

そして、本件の審理を進行するためには、被告が現に心神喪失の常況にあるかどうかを審理する必要のあることは前段説明するところによつて明らかであるから本件を第一審に差戻すのを相当とし、民訴四〇八条、三八九条により裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官栗山茂、同谷村唯一郎は退官につき評議に関与しない。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克)

上告代理人弁護士高屋市二郎の上告理由

右当事者間の昭和二八年(オ)第一三八九号離婚請求上告事件につき左記の通り上告理由を陳述致します。

本訴は上告人(被告、控訴人)が心神喪失の常況にあり、且回復の見込みがないことを請求原因としておるから、上告人は訴訟無能力者であり、被上告人と利益が相反するから後見監督人によつて応訴せしめる外適法な訴訟手続がないのにこの手続によらないで直に上告人を当事者として提起されている。従て本案の審理を俟つ迄もなく却下せらるべきであるとする上告人補助参加人(被告補助参加人、控訴人補助参加人)の主張に対して、原審は民事訴訟法第五六条の規定を準用して特別代理人が選任され、同代理人が応訴し、且同代理人選任前に於て訴訟能力のない者に対してなされた無効な訴訟行為も同代理人の暗黙の追認によつて(訴提起の)当初に遡りその効力を生じ、本訴は適法となるに至つたとする第一審判決の説示を支持して上告人補助参加人の主張は理由なしとした。

然しながらこれは民事訴訟法第五六条の準用を誤り、且暗黙の追認によつて治癒を許さない無効の訴訟行為を有効なりとした違法な判決であつて破毀すべきものと信ずる。

その理由は、

一、第一審判決も認める通り「夫が心神喪失の常況にある妻に対して離婚の訴を提起するには先づ家庭裁判所に申請して妻につき禁治産の宣告を受け、これと共に一旦自らその後見人となり、次いで後見監督人の選任を受けてこれにより訴訟行為をなさしめる」べきである。本訴の如く妻の現住所である東京代用精神病院に、訴訟無能力者を被告とした訴状を送達し、数回の口頭弁論に出頭しないからといつて、民事訴訟法第五六条所定の法定代理人がない場合に準じて特別代理人の選任を認めるとするならば(この選任の決定に対しては何人も争うことを許されていない)、精神病者の権利の擁護は何人によつてなされるのか甚だ疑問である。即ち仮に離婚訴訟はこの特別代理人によつて手落ちなく遂行されるとしても、離婚となつた本件の妻の如きは財産の分与の請求にさへ甚しき困難を来す結果となるのである。心神喪失の常況にあり、且回復の見込がない場合に裁判上の離婚原因があるとしても、妻である身分を喪失する以前に、先づこれを禁治産者とすべきか否かが審理せられることによつて権利が擁護され、又仮に禁治産者となつたとしても、その者としての権利の擁護方法が法律の規定に従つて講ぜられるべきである。この方法をとらないで、先づ妻たる身分を喪失せしめ、夫からの扶養の関係を絶ち、爾後の措置は関係者の良識に期待するとすれば本件の上告人の如き貞淑勤勉にして全く無過失であつた妻が一度び不幸な病気となるや、先づ裁判上の離婚が認められる結果となり、甚しく片手落ちな結果を招来するのである。

二、抑々訴訟無能力者の行為が其後民事訴訟法第五六条によつて選任された代理人の行為によつて暗黙に追認されて有効となるものであろうか。初め訴訟無能力であつた者自身が完全な能力を得た後引続き訴訟行為を為す場合は無効な訴訟行為を追認したものといえるであろうけれども、本件の如く本訴の提起された当時は勿論、爾後病勢に変化なく幾分悪化しているという(被上告人の主張)病状にありながら、特別代理人が選任されているから無効行為を暗黙に追認したものとするならば、結局職権を以て調査すべき事項を軽々しく看過した非を庇うことになる。現に東京地方裁判所の取扱実例は、凡て禁治産宣告の手続を先行せしめている。最愛の妻の発病は夫として限りない不幸傷心の出来事であるから、先づ妻としての正当な権利を擁護する方法が十分な愛情を以て考慮されて然るべきであつて、このことは夫である被上告人が発病した場合を考えてみれば説明を要しないことである。然るに本訴提起の当時既に後妻もでき、この後妻自身すら本件の離婚の成立を特に希望するという事情でもないのに、殊更に訴訟が遅延し損害を受ける虞れが充分あるとして特別代理人を選任し、離婚判決を急ぐが如きことは到底首肯できないのである。

三、本訴に先行した前橋家庭裁判所高崎支部に於ける調停事件(昭和二四年(家イ)第一一号、丙第六号証ノ一乃至九参照)に於ても被上告人は本訴の上告人を相手方とし、本訴の上告人補助参加人を利害関係人として被上告人と上告人との離婚を申立たのであるが、申立理由は上告人が心神喪失の常況にあり、且回復の見込がないというのであつた。昭和二四年四月二〇日の調停期日に上告人補助参加人は代理人弁護士と同行して出頭するや、この調停の申立は相手方に当事者能力がないこと、特に離婚せんとする申立人の希望を如何にして調停しようとされるのかと詰問したのである。すると同日の調書は何故か作成されなくて、次回翌五月六日の期日は利害関係人に通知なく、然も調停は成立の見込がないから不調とすると処理されているのである。第一審判決はこの点について『たとえ調停手続としては無効であるとしても申立人たる原告と利害関係人たる被告補助参加人との間に原・被告及び被告補助参加人の将来のため懇談する機会を与えることもあながち無意味ではないとの配慮の下になされたものと解し得られないことはない』と説示している。而し精神病者の監護に関する調停ならばともかく、調停申立の趣旨は離婚を成立させようというのであるから、余人では如何とも致し難いことであつて、明かに違法な申立の受理である。本訴はこの調停事件の後に、然も当時と同様に上告人を直に被告として提起され、然も数回に亘つて口頭弁論期日呼出状が前述の通り精神病院を上告人の現住所として発送され、送達はできているけれども、被告が出頭しないからというので、「同病院から裁判所に出頭して訴訟をする能力がなく不出頭に終り徒に訴訟が遅延し申立人も損害を受ける虞れが充分ある」として特別代理人選任が申請されたのである。この場合上告人に対する訴状と口頭弁論期日呼出状との送達が訴訟法上の効果を発生していないことは勿論である。上告人の病状が被上告人の主張の通りとするならば、被上告人は先づ禁治産宣告の申立をなし、被上告人の一切の権利と義務の執行の為めの法定代理人が選任されるべきであり、禁治産宣告のためには精神鑑定は当然実施されてこの点による離婚原因の存否も明かとなるのである。であるから本件は法定代理人がない場合ではなく、当然法定代理人を選任すべきであるのにこれを怠つた場合であつて、民事訴訟法第五六条の準用を許さない。同法は未成年者であるか、既に禁治産の宣告のあつた者に対し訴訟行為を為さむとする者に許された手続であつて、未だ禁治産宣告のない上告人の為めには許されないと信ずる。

以上

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